評価センター資料閲覧室

第6回固定資産評価研究大会 講演

   

 「中央(霞ヶ関)と地方(萩)」

 萩市長 野村 興兒
   
   
1. はじめに
   ただいまご紹介いただきました山口県は萩の市長をしています野村と申します。萩といいますと、東京では割りと名前が通っておりますが、実体は人口5万人弱の非常に小都市でございます。きょうは中央と地方という話でありますが、地方の代表としては、ややふさわしくない、今、合併の対象になっているといったような地方の小都市というふうにご理解をいただきたいと思います。
   
2. バブル経済下における相続税対策と地価税の創設
   今、ご紹介いただきましたように、今から何年前になりますか、昭和62年、63年、税制三課長という大蔵省のポストにおりました。たまたま資産課税が大問題になったときであります。皆さんご承知のとおり、バブルで土地投機が真っ盛り。このときの土地問題に対する対応というのが、本来であれば国土庁、今の国土交通省をはじめ、いろいろなところで土地政策があってしかるべきだけれども、なかなか土地政策が進まない。こういった時に土地がどんどん上がっていく。これに対する対応を税で行うべきではないかという議論、最後のよりどころだという話もございました。そのときに、当時自治省の税務局の皆さんとはいろいろな議論をさせていただきました。要は、なぜ投機が起こるのか。保有課税が弱いという議論がございまして、これは自治省から大変な反撃をいただきました。結局のところは、地価税という新たな税を創設することに至ったわけであります。
 今から考えますと、嘘みたいな話でありますが、当時は土地の問題についてどう対応するかという基本的なところが、なかなか無かった訳であります。そのツケを全て税に持ってこられるという話もあったわけであります。当時を思い出しますと、今の民主党の菅直人代議士がただ一人土地問題についての大権威でございまして、いつも呼ばれては叱られておりました。そういったことを考えますと、今では嘘みたいな話であります。あの時の土地対応がもう少し何とかなっていれば、その後のバブルの崩壊ももう少し傷が浅かったのではないかと。いろいろな議論がございます。あれだけの流動性を、一体どこで吸収したのかという議論ももちろんあります。
 しかし、保有課税、あるいは評価といった問題がいかに大切であるかということは当時のいろいろな事象を振り返ってみるとわかるわけであります。今日お集まりの方々は、行政や不動産鑑定等の専門家の方々ばかりでありますし、私はもう8年以上、田舎の首長で一般の地方行政をやっていますが、当時はやや専門家でございました。そういった意味でいいますと、地方で考えていたいろいろな税制の問題、評価の問題も含めて地方税制、そして今、地方で税の執行に一生懸命当たっている地方の税務職員の皆さんを見ますと、大都市、都道府県の行政であればともかく、実はかなり開きがあるなという思いもございます。そういう思いも、また、お話をさせていただきたいと思っております。とにかく首長というのは、福祉から民生から税務ももちろんでありますが、いろいろなことを常時、万般にわたってやっております。専門的な話はあまりできませんし、やや、よもやま話のようになってしまうかもしれませんが、お聞きいただければ幸いでございます。
 一番初めに私が担当しておりましたのは相続税でございました。当時、相続税対策で土地を求める。土地を購入すれば相続税対策になると。これが実は相当きいたわけであります。当時の政権与党、自民党からも、これに対して何とか手当てをしろと。相続税対策でみんな土地を買う。相続税対策の研究会などで、専門家の方、特に税理士の方々を中心にいたしまして、相続税の回避なんて簡単な話で、土地をまとめて買えばいいという話がまことしやかに言われていたわけであります。事実、相続税対策で相当の土地が動いておりました。このあたりをどうするのかという話でありまして、結局つまるところは、相続税の基本たる相続税の土地の評価というものと実勢価格の開差のあたりをどう考えるかという話であったと思います。確かに上昇率は相当なものでありました。
 そういう中で、最後は租税特別措置法で、取得した価格をもってして評価にかえるというような大胆な法律までつくってしまいました。私がやめた後、租税特別措置だから、そんなやつは誰かが当然直してくれているだろうと思ったら、土地の下落が生じたときも直していなかった。これは憲法違反だというようになって、何か大変なことになったんです。租税特別措置などというのは、あくまでもそういった一時的現象の時に、税を武器にして政策手段として使うという話だったと思うのですが、その後、後継者の方がなかなかそういったことをやってくれなかった。とんでもない法律だという話になってしまったんです。
 そのときには土地の問題を離れまして、例えば相続税の課税計算上、子供が一人でも多ければ相続税対策になるというので、相続税回避のための養子を多いときには30人、場合によっては20人。こういうことをなぜ許すんだと言われました。民法で認められている養子の設定というのは、本来、私的自治の話でありますが、あえて税のカウントとしては、そういった養子をカウントしないという制限をした。こういったことも本来であれば、法律学者の方々からそんなばかなことをというふうな話がございます。そういったことも敢えてやったんです。とにかく緊急避難としてやれることは全てやろうと。今から思えばとんでもない話でありますけれども、そういうようなことも実は手当てした。非常に懐かしい気持ちがいたします。しかし、結局、相続の話は地価が落ち着くまで抜本的な対策にはならなかった。しかし、取得価額というものを一つの基準に考えていくということは、相当対策にはなったんだろうと思います。
 いずれにいたしましても、その次に今度は、地価税の創設という話が出てまいりました。当時、公示価格に対しまして、固定資産税の評価は大体2割前後。酷い時は、10%強といった話もございました。土地を保有することには、当然コストがかかる。これは、大体諸外国の共通の傾向であります。我が国の場合は、土地が投機の対象になるのはなぜだ。当時、こういうふうな議論がいろいろございました。なかなか壮烈な議論がございました。しかし、あえて保有課税をというので、地価税というものを創設したわけであります。屋上屋を重ねる土地の税制をつくったわけであります。これも今となれば、本当に何ということだという話でしょうけれども、当時としては大変なことでありました。その後、自治省におかれましては、土地の評価についての見直しをされた。それが今の負担調整という形で、なおまだ残滓を残しているわけであります。しかし、一つの保有課税の見直しの大きな転機になったわけであります。
   
3.  地方(萩)の現状
   今、地方で固定資産税を見ていますと、固定資産税はすごいなと思うぐらい、評価が厳正に行われてき始めております。公示価格にだんだん近くなりつつある、ということであります。本来の土地政策という観点から見ますと、固定資産税も保有課税の一翼を担う大切な機能を果たしていると言えるのかなと思います。
 こういうふうな国レベルの、あるいは政策レベルの話をいたしますと、今、首長として私は税の分野も時々見るんですが、地方におきましては税の専門家というものが、なかなか育ちません。まして、私どものように人口5万人といいますと、人事上、税の専門家をつくることは至難な業でございます。大体3年か4年で変わっていく。そしてまた、税のことを全く知らない若い職員が入ってくる。こういうことを繰り返しているわけであります。最近私どもは人事政策上も、税の専門家を育成するということを少しやっています。私どもの周辺に郡部がありますけれども、郡部の町村は専門家といいますか、そういう担当職員が1人か2人といった町村も多いわけです。そういったところで課税が行われている。もちろん評価も行われている。例えば徴収も行われている。特に徴収の分野というのは、大変な専門分野でありますし、民法、債権のちゃんとした基礎があって、いろいろな徴収法の機微にわたる部分を知った上でないと、実はほとんど執行はできないのであります。
 私が市長になったときに、萩市では滞納整理というのは、実は無かったんです。納税表彰式というのが行われまして、必ず萩の税務署長が来られます。私が挨拶した後、遅れて税務署長が来られまして、中国5県で50の税務署があるが、徴収率は萩の税務署が一番高いとお褒めをいただきました。その前の私の挨拶で、中国5県のうち市町村の中で、一番徴収率が悪いのは萩市だという話をした直後に、国税の署長がそういうふうな挨拶をされました。それはどういうことかといいますと、国税はしっかり滞納整理をしています。昔だったら電話債権をすぐ押さえてしまう。最近は、生命保険もみんな押さえてしまう。国税は滞納をすると大変だというのは、市民も皆知っているわけであります。しかし、市税を滞納してもお咎めが無いというのも実は知っているんです。したがって、国税は徴収率が一番高いけれども、市税は一番低いというアンバランスが現に生まれておりまして、大変恥ずかしい思いをしたことがあります。今、一生懸命やっていて、最近は萩市の担当者も生命保険ぐらい押さえられるようになりました。そのための大変な研修を繰り返されているわけであります。
 実は、それぞれの市町村がこういったようなことを大変苦労されてやっているわけであります。ここに今日ご参集の行政担当の方は、おそらく大都市の方が中心だろうと思います。都道府県や政令指定都市、あるいは人口30万人以上の都市であれば、ちゃんとした専門家がお育ちになっていますが、人口10万人前後の都市は、おそらく専門家はいないに等しいと見ても差し支えないわけであります。私どもの周辺の町村におきまして、先般、新聞で非常に話題になった事件がございました。滞納をしたときの延滞金といったものを、町村郡部は一切取っていない。地方税法でそういうふうな定めがあり、法律で決まっていることを実はやっていないんです。やっていないのではなくて、やれないんです。人もいないし、わからない。そんなことをやったら大変なことになるというのが。実は新聞に載って、法律の厳正な運用をしていないという話でありました。今もそうであります。
 これはどういうことだといいましても、そういう形で法が地方の周辺都市までやっていけないということであります。しかし、救われたことは何かというと、実はほとんど滞納は無いんです。隣近所の共同連帯意識が非常に強いところでありますから、払わないと村八分になっちゃう。それでも、時々は払われない方があるんです。あっても、延滞のペナルティーは無いんです。ずうっとそういうことにしてきているから、今さらできないとおっしゃるんです。本当にびっくりしました。私どもは、もちろんちゃんとやっています。これは非常に瑣末なことかもしれませんが、法を執行していく、法を本来の趣旨、法に規定されているとおりを執行していくというのが行政官の本来の務めでありますが、そういうことすらもできない状況が地方のほんとうに零細な市町村ではあるということであります。そういうことをお話ししましても、身近な問題としてはおそらくお感じにならない方々が、今日は大部分だろうと思います。
 今、これに対するいろいろな措置、対応を一生懸命考えられているわけであります。徴収とか滞納整理といった特殊な分野は、それぞれの市町村ではできないから、例えば一部事務組合をつくってやろう。私どものところも一応、一部事務組合でやろうということにはなっているんですが、なかなか実現していないというのが実態であります。広域連合でやろうと。私どもも含めてですが、周辺の町村部を含めまして、最後の策は、やはり合併なんです。税だけではなくて、法そのものの適正な執行というのは、介護保険一つをとっても大変精緻なものであります。そんなものを全国、東京と同じようなレベルで法執行ができる体制にあるかというと、ないんです。じゃあ、どうするんだと。
 例えば、介護保険は一番いい例であります。介護保険料はちゃんと取られるわけでありますが、サービスを受けられるという保障はない。ならば、一体どうするんだという話になってきます。離島、島嶼部はどうなるか。デイサービスといってもなかなか来てくれません。介護保険にいろいろなサービスがありますけれども、その中で非常に限定されたものになります。しかし、それでもとにかくやれるだけのことはやるというのが今の現状であります。
 島嶼部で特例があるかというと、ちょっとしたものしかありません。なかなか無いんです。非常に精緻な制度でございますけれども、東京を中心にして十把一からげで全国を規制していく。しかし、地方では及びもつかないような事態が生じている、といったこともある。だから、やっぱり特例とか、いろいろなことがあってしかるべきだろうという議論をいたしております。私どもも、実は島嶼部を抱えております。島嶼部の行政というのは、大変難しい。いろいろな恩典措置はたくさんありますけれども、全国一律に行われる制度の運用というのは、大変難しい面がございます。厚生労働省に行きまして、離島の立場といったものを何とか理解してほしいということも、いろいろお願いしているわけでありますが、厚生労働省のご担当の方々はお忙しいものですから、なかなかそこまで思いが巡らないということであります。
 私どものお話をして恐縮でございますが、私どもは城下町でございましたけれども、明治維新以降になりまして、藩庁が山口に移ります。城下町の武家屋敷だけが残る、言うなればゴーストタウンみたいな町になってしまいました。それが今や文化財ということで、我々はそれをもってして、歴史観光みたいなことで生きているわけであります。明治の初年に、当時は変人扱いでありましたが、小幡高政という非常に知恵者がいました。武家屋敷の中の庭を活用して、夏ミカンを植えようと。言うなれば、大分で行われております一村一品運動のはしりみたいなものであります。武家屋敷を全部夏ミカン畑にしたんです。それが収益につながるということになりましたとたんに、どうせゴーストタウンみたいなものでありますから、武家屋敷の庭にみんな夏ミカンの栽培を始めた。柑橘栽培のはしりであります。実は、全国で初めて本格的な栽培を始めたのは萩でございます。余談でありますが、夏ミカンの栽培、研究を重ねていきまして、新品種もいろいろつくっていきました。実はその中に、伊予柑というのもあったんです。もともと武士の商法で、商売が苦手でありますから、伊予の方が持って帰って、いつのまにか伊予柑という名前で全国で売られるようになった。萩も萩柑と言いたかったんでしょうけれども、伊予柑で名前が通ってしまったから、今、伊予柑で売っております。非常に恥ずかしい話であります。
 それで私が言いたいのは、町の真ん中が実は農地だということです。町の真ん中が農地だということは、固定資産税の税収が大変少ないということであります。なぜこんなに固定資産税の税収が少ないんだろう、と初め思いました。町中に夏ミカンがあり、そしてその収穫をされる。それは確かに農地であります。明治、大正、昭和初期、戦後もこれで随分食いつないでまいりました。しかし、最近は酸っぱい夏ミカン、ダイダイというのはなかなか売れなくなりまして、収穫をしなくなってきた。前は農協が責任を持って、ちゃんと収穫をしていた。収穫をしない、そういった夏ミカンの畑は農地と呼べるのかという話もあるわけですが、こういったことはなかなか手がつけられない。担当者も「今まで農地でやっていましたから、今さら農地を変えるわけにもいかなく、税の負担を強化するのはできません。」という話であります。これが今どんどん進んでおりまして、休耕田といったような状態になりつつあるわけであります。
   
4.  税の専門家育成の必要性
   こういったことをいろいろと考えていきますと、ちょうど昭和62、63年のころに、春になると小田急線や井の頭線の沿線で梅や桃の花が一斉に花開く、相続税対策で桃畑、梅畑がボンボン増えたときと同じような話で、その裏返しみたいな話であります。そういう思いが非常に強くいたしました。そういうふうな農地の実体として、このあたりもどう考えるか。相続税の評価は、国税は厳しいんです。収穫をしていないものは、農地として認めないという話であります。それは、はっきりしている。本来であれば、相続税と同じ平仄を合わせるべきでしょうけれども、地方公共団体の場合はそこまで言えるかどうかというのはなかなか難しい。
 こういったようなことを一つとりましても、判断ができない。そういった訓練も研修も受けていない職員が、大部分であります。今後、税の話というのを真剣に考えていくとするならば、やはり都道府県レベルで少しまとまった研修を行う必要があります。今、例えば自治大学校でいろいろ研修が行われています。すばらしい研修であります。幹部研修は、内容を見ても、こんなのだったら私も受けたいと思うぐらいのすばらしいものです。ただ、税の専門家研修あたりはいろいろな形で、もう少し充実を図っていただきたい。全国といいますと、参加するのに費用がかかりますので、中国地方とかのブロック、あるいは都道府県単位でそういったものがあれば、随分助かるという思いを地方の首長さんは、おそらくお持ちだろうと思います。そういうふうなことを考えますと、今の状況はかなりきついなということであります。
 しかし、税務を担当する行政官、担当の職員の皆さんは、それなりに一生懸命やっていただいているわけであります。手引を一生懸命見ながら仕事をしていただいていますけれども、何せ担当する期間、ローテーションが大体3〜4年ということで、専門家が育つわけがないという思いであります。それぞれの歴史を見ましても、そういうふうな感じを強くしているところであります。私も国税におりましたけれども、国税の徴収職員は大体15年ぐらいでやっと一人前になると言われております。そういうふうなことを考えれば、少なくとも地方税という形で、地方税法のもとに全国で統一した課税を行うということであれば、そういったこともやはり大きく考えていかなくてはいけないという時期なのかなと思います。
 私どもは専門家がいないという言い方をしましたが、地方におりますと、実は私どものところは弁護士が二十何年間いない。無弁地域であります。最近、やっと大阪から1人弁護士が入った。昔は弁護士はかなりたくさんいまして、裁判所を巡って大きな争いをしていました。今、全国で弁護士がいない地域というのは、かなりあるんです。まして、評価の専門家であります不動産鑑定士も、萩市ではゼロであります。周辺地域は、みんなゼロであります。専門家というものが、東京、都市部に非常に集中している。今、1人弁護士に来ていただきましたが、決して収入が上がらないわけではない。しっかり稼いでいただいています。交通が利便になったから、頼みに行くのは車に乗って行けばいいという話もあるかもしれません。しかし、1時間以内にそういったものがないというのは、なかなか大変であります。訴訟を一つ起こすにしても、結局弁護士の機能を代替しているのは行政書士だったり、司法書士であったり、あるいは税理士であったり。都市部でそんなことをやれば、弁護士法違反だとか、そういう話になるわけでありますけれども、とにかくいらっしゃらないわけですから、結局代替的な機能を果たしていらっしゃるということだろうと思います。一つは、そういった専門家をどうしたら養成できるかということ。今、評価の問題でありますが、不動産鑑定士の方も遠くからわざわざ来てもらって、評価を行っていただく。これも大変なことであります。市の職員に不動産鑑定士の試験を受験してみろなんて言っているんですが、なかなか手を挙げてくれない。
 かつて地価税を導入したときに、税務大学校で不動産鑑定士を養成しようと募集したところ、たくさんの職員が応募いたしまして、ほぼ100%に近い合格率だったと思います。実は、相当の数を養成してまいりました。そういうようなことも、やはり何か必要かと。これは業界から言えば大変な話になるかもしれませんが、とにかく人がいないんですから、養成するということも行政として施策を考えていくべきだろうと。都道府県レベルで、そういったこともお考えいただくことはできないかと要請をしているところであります。専門家という観点から言いましても、地方と国には既にいろいろな制度を仕組むときは、中央、都市部のお考えでありましょうが、地方というものを視野に入れた2段階か3段階の行政の対象、日本ではいろいろな層があるということをぜひお考えいただきたい。田舎に行きまして、初めて感じた次第であります。これは単に今言いました税、評価の分野といったことではなくて、あらゆる分野において、万般に渡ってそうです。
   
5.  適正な法執行のための合併
   そして今、全国一斉に平成の大合併がわき起こっているわけであります。これは、方向としては正しいと私は思います。今、私どもも1市2町4村の合併の大運動をやっております。なぜ合併が必要なんだというときに必ず話をするのは、そういう専門家がいない地域でいいのか、法律が適正に運用できない地域でいいのかという言い方をしています。そうすれば大体、そうだなという話になるわけであります。下手をすれば、合併は国からの押しつけだと言われますけれども、そうではなく、我々こそが本当にそういったものを必要としている、ということを主張しているんです。とにかく何とかまとめていこうと。まとめていかないと、法律なんか誰も適用できなくなるという話を、今やっているところであります。
 結局、一部事務組合とか、広域連合とかいう形で広く力を結集して、みんながやっていこうと。しかし、究極の対応策というのは合併だと。ある程度まとまってやっていかないと。特に私どものように日本海側では非常に高齢化し、少子化し、過疎化をどんどん起こしているわけでありますから、そういったところはそういったことを考えざるを得ない。それに対する異論は基本的にはないわけであります。とにかく、法が法として適正に運用できない。今、そういった面を言いましたけれども、それは警察行政においてもそうなってくるわけです。しかし警察行政は、全国統一された行政であります。地方行政は、そこで一つの分断がございます。そういったようなことを考えますと、やはり何らかの形で統一的な措置がとられること、そしてそれは考えてみれば合併という一つの方向で、いろいろな意味で出てくるのではないかと思います。あと、我々はその都度いろいろなことを工夫していく必要があるわけであります。諸々の事象でそういった判断をしていかなければならないわけであります。
   
6.  教育制度のこれからのあり方
   ちょっと話が脱線いたします。今言いますと、いかにも地方というのは、過疎で、専門家もいなくて、いいかげんな行政をやっていると思われるかもしれません。しかし逆の考え方を言いますと、今、我々みたいな地方の中小の都市でこそ、ある意味ではいろいろなものがまだ残っている。去年、一昨年の成人式のいろいろいな議論を、覚えていらっしゃると思います。おそらく東京や、ここには行政担当の方がいらっしゃいますけれども、この周辺都市では、いわゆる従来の儀式的な成人式はできなくなっている。それが地方の中核都市、高松や高知といったところでもできなくなった。これは一体何を意味しているかということを、毎年成人式をやっている立場から言いますと、本当に感じます。
 私どもも、首長が必ず挨拶をする、そして来賓の挨拶、1人ぐらいに絞っておりますけれども、成人の代表に成人の主張をしてもらうといった従来のやり方が、私どもの町では従前どおりちゃんとできています。しかし、ちょっとした中核都市になると、それができなくなっている。なぜか。一つは、企画をする自治体の企画力、管理力といったものが非常に落ちているということであります。もう一つは、そういったことで騒いだときに対応することができない、それを制止することができない。もう一つ、一番決定的なことは何かというと、一部の成人者が騒ぐことを成人者自らが、やめろという制止をしないということであります。これは、実は恐ろしい話であります。
 今、大学の講義で学生たちが私語をしている。ザワザワして、授業できない。最近はあまり話をしなくて静かになっているけれども、実はみんな一生懸命メールを打っているという話だそうです。私も最近の詳しいことを知りませんが、こういう現象をどう考えるか。成人式という一つのけじめすらも、もうできなくなりつつあるのが日本の姿だというのであれば、今の地方の都市はまだ昔どおりの、昔どおりと言っても、因習めいたという話では決してありません。工夫をしながら、ちゃんとやっているんです。やれるんです。それは一つは、共同体意識という社会の構造がもちろんありますけれども、学校教育と地域のいろいろなものが結びついているからであります。
 映画で紹介されるように、アメリカのロサンゼルスやニューヨークの高校生が、めちゃくちゃだといわれます。もちろん銃の乱射事件とか、いろいろなものが最近起こっておりますけれども、アメリカの中西部の大部分の町々の若者たちは、昔どおりの敬虔な宗教心を持ち、健全な高校生活を送っている。こういった地方の本来の姿というもの、やはり日本的なものが若干残っている。まだ継承されている。こう言いますと、おまえは保守反動の、というふうに見られるかもしれません。しかし、今の中核都市や大都市の姿を見ていると、次の日本の社会は一体どうなるんだろうという思いが、非常に強くしております。
 私はふるさとの萩で生まれ育った者でありますが、高校を卒業しまして出ていきました。そして31年ぶりに帰りますと、萩の社会というのはほとんど変わっていない。教育も変わっていない。昔の伝統を、ちゃんと受け継いでやっております。卒業式、入学式に私語するものは誰もおりません。高校を卒業して、初めて大学へ行ったときにびっくりしました。大学の教室で、授業中にみんなが私語をしている。歩いたり、動き回ったりするのがいる。本当にびっくりしました。こういう差は何だろう、と思ったわけであります。これは、瑣末なことかもしれません。しかし、あらゆることで考えてみたときに、今、日本の社会で何か大きく変化している。しかし、まだ今だったら地方の小さな町では今までの伝統といいますか、伝統という言葉はよろしくないと思いますが、そういったものがちゃんと受け継がれている、今までずうっとこの世の中で、時代、世代が変わっても受け継いでいかれたものが残っていると思います。
 今、若い皆さんのハングリー精神が無いとか、いろいろなことが言われております。今言いましたように、法律が法律どおり適正に行われているかどうかといった問題は、もちろんございます。それも経済力が弱くなり、あるいは行政力も弱くなりといったことかもしれません。しかし一方で、そういったいい面が地方の町には残っている。だから、何とかして地方からいろいろな声を上げて、いろいろな改革をできないかという思いを、今、非常に強く持っているところであります。
 今言いました、行政が法どおりに執行されていないというのは、やればできる話であります。改革してやっていけば、私どもの税の話でも、やっと徴収もできるようになりましたし、いろいろなことが可能になっているわけであります。ただし、都市部におきますいろいろな問題は、一朝一夕で直そうと思っても直る話ではないと思うんです。教育の根源的な問題、地域のあり方の問題、社会と子供たちの関わり合いの問題といったものが、全て表にあるのではないかと思います。こういうようことを一方で思いながら、最近のいろいろな現象を考えてみますと、そういうことを私は言ってはおりますけれども、例えば17歳の少年犯罪は地方の中核都市にだんだん、むしろそちらのほうが中心にと言ってもいいほど移ってきております。佐賀とか岡山とか山口とかいったかなりの都市にそういったものがどんどん伝播をしていく。テレビやマスコミ、あるいはインターネット、いろいろな情報手段を子供達は、いろいろな形で入手できるわけであります。そういったようなことを考えますと、こういった状況というのは、おそらくどんどん拡散していく。今までは都市の病理現象と言って、それで片付けてこられたんでしょうけれども、そうじゃなくて、まさに今、全国津々浦々にそういったものが広がってくる。だから逆に言えば、そういった伝播の力を使っていけば、いろいろな意味で日本のよき姿が伝えられていくのではないか。こう言いますと、石原慎太郎とか何とかと一緒にされそうなので、あまり好きではないんですけれども。ただいろいろなことを考えますと、かなり限界に来ているのではないかという思いを強くしています。
 私どもの町は、非常に辺境の町でありまして、交通が不便でありますから、独立したテリトリーを持っております。だからこそ、いろいろなものが独自に保ち得た。保ち得られていると思っております。それでもテレビの力によって、西洋のいろいろな情報が得られる。ベルリンの壁が壊れていった大きな原因は、伝播の力であるということが言われていますが、それと同じようなことが悪い方で拡散していく。そうではなくて、いい方でそれが拡散をしていくようなことを、我々は考えていくべきではなかろうかと思います。これは、決して不動産の話でも税の話でもないわけでありますけれども、首長としていろいろなことを考えてみるたびに、そういう思いを強くしております。
 国の財政が破綻しているとか、経済の状況が悪くなっているとか、そういった問題ではなくて、一番根源的なものが失われつつあるということこそが、日本にとって一番危機であるということをぜひもう一回、国民全てが思い直してみることが必要だろう。お金の話は、自分達がしっかり稼げば稼げるわけですけれども、ただ人そのものは。世の中は、百年の計であります。植物を植え、木を植えるのは百年の計と言いますが、子供たちを育てていくということも、やはり百年の計であります。教育改革とか、いろいろな形で言われておりますけれども、それよりもまださらに大きな次元の話だろうと私は思います。進学のいろいろな話があり、高校、中学校の教育が直される以前の社会全体の仕組みといったものがどこかで今、壊れつつある。これを壊してしまえば、おそらく我が国の再生はなくなってくるだろう。東京から萩という小さな町へ移ってみて感じます。私どもの町はまだまだ50年は大丈夫だと思っておりますが、今の状況でいきますと、あと20年ぐらいかなと最近思うようになりました。それほど、どんどんいろいろなものが入ってきている。それは、いい面もあるし悪い面もある。しかし、かなりのものは、私どもが都市の病理現象と今まで言ってきたことであろうと思います。地域が共同社会として、いろいろなものを助け合うという中で子供たちが育っていくという一つの循環が、今、失われようとしている。これは大変なことだと思います。
 そしてもう一つは、私どもの小さな町にも、実は国際大学という大学をつくりました。これは大変苦労しているんですが、そこに来る外国人留学生、特に中国の留学生でありますが、大変ハングリー精神が旺盛であります。図書館に行って勉強しているのは、全て中国の留学生であります。そういう中で、日本の国内の学生は大丈夫なのか。医学部でも、博士論文で優れているのは中国あるいは韓国の留学生だという話も友人などからよく聞きます。何か、一つどこかでネジが緩んできている。
 随分前ですが、読売新聞の元旦号に広告が載っていました。パンナムの飛行機の中のファーストクラスで、ネクタイを緩めてマティーニを飲んでいるのはアメリカのビジネスマンで、飛行機の一番後ろの安いエコノミーの席で一生懸命電卓をたたいているのは日本のビジネスマンだった。しかし今、マティーニを飲んでいるのは日本のビジネスマンで、後部座席で一生懸命報告書を書いているのは中国や韓国のビジネスマンだ。いや、もう韓国はいないんだそうです。韓国もマティーニを飲んでいるのかもしれません。実は今、それほど世の中は変わっている。これは象徴的な話だと思います。事あるたびに私どもは、そういうようなことを若い中学生や高校生に言うわけであります。なかなか理解をしてくれません。明日もある中学校へ行って、全員で700人ですが、話をすることにしています。ちゃんと聞いてくれる耳を持っているだろう、という思いであります。
 余計なことでありますけれども、私どもは何故そういうふうなことにこだわるかといいますと、かつて私どもの町に吉田松陰という一人の教育家というか、政治思想家がいました。わずか29歳でこの世を去るのでありますが、大変な人物でありました。小泉総理は、尊敬する人物としてチャーチルと吉田松陰とメルマガに書いています。あの方が、自民党の初めての総裁選で橋龍と渡り合って、もちろん当然負けるべくして出馬したという話でありますが、終わったときにNHKの記者がインタビューいたしました。マイクを差し向けたときに、何を言うのかなと思ったら、いきなり松陰の和歌を「かくすれば かくなるものと 知りつつも 已むに已まれぬ 大和魂」と、スラスラッと言うんです。何で小泉純一郎は、こんな松陰の歌を知っているんだろうと僕もびっくりいたしました。
 その理由が、実はわかったんです。小泉純一郎は実は横須賀高校の出身であります。横須賀高校というのは、旧制神奈川第四中学校。旧制横須賀中学校であります。神奈川第四中学校というのは、実は明治のかなり後期にできた学校でありますが、初代の校長を14年間務めたのは、吉田庫三という人物であります。吉田庫三は、松陰の甥であります。妹の子供です。大変、変人でありまして、今なお横須賀で伝説的な話になっている。横須賀高校へ行きますと、実はこの間行ってきたんですが、あそこに沢田さんという市長さんがいらっしゃいまして、私も昔、一緒の部屋で勤務したことがあります。横須賀高校へ行きますと、大歓待を受けまして、歴代の同窓会長が皆そろっていらっしゃいました。「萩から来た。よく来た。」と。校長室に行きますと、吉田庫三の胸像、写真、書などがずらっとあって、松下村塾で使われた仏教典書をはじめ、当時の松下村塾のテキストが皆、残されている。横須賀高校は、松陰教育をやっているんです。あの世界で育った小泉純一郎という人物は、あの風貌を見ていますと、何となく感ずるものがある。ここまで言いますと、ちょっと言い過ぎだと言われるかもしれません。なかなかおもしろい行動様式です、ああいう人たちが。
 もう一つ、なぜそういうことを言ったかと言いますと、所信表明の時に、米百俵というのを使われたんです。戊辰の役のときに、長岡藩自身が火をかけて、長岡市を焼いてしまいます。そのときに支藩が米百俵を用意いたしまして、長岡藩の救済に駆けつけるわけであります。小林虎三郎という人物が、その百俵をこの場で使わずに、将来の教育に使おうと言ったことを小泉総理が、所信表明の第1回目の時に使われたわけであります。小林虎三郎は、非常におもしろいんであります。佐久間象山の東京での塾で吉田松陰と、吉田松陰というのは吉田寅次郎といいます。小林虎三郎は「象門の二虎」と言われて、大変勇名を馳せたんだそうであります。同じ教育者になったということも、非常に不思議な縁を感じたんですが。
 ちょっと脱線いたしましたけれども、私が言いたいのは、教育というものは、今言われているような教育改革というのではなくて、国全体が見失っているもの、あるいは戦後から今までずうっと我々が育ってきたような環境をどこかで失ってきている。これはもう一回ちゃんと本格的に議論しないと、大変なことになるだろうという思いが非常に強くしている。余計なことをいろいろと申しましたけれども、そういった中で、地方行政も含めて議論をしていくことであろうと思います。甚だ離れてしまいまして、恐縮でございます。
   
7.  地方分権と財政運営
   もう一つ、評価論とは全く異質な話でありますが、昔も議論があったんですが、今、行政学会等で評価的な問題、これは評価でも全く違う評価で行政評価のお話ですが、コスト・アンド・ベネフィットという、いわゆる費用対効果、費用対利益と言います。私が役所に入った昭和42年から44年ぐらいにかけまして、実は費用対効果分析の予算を、事業別予算で心掛けたことがございます。私もちょうど主計局にいました。その時の話というのは、今からどんどん予算が拡大していくという時に、費用対効果というものを数量化していって、そして予算をつけていくという話が非常に先駆的にやられておりました。当時、マクナマラ国防長官が、マクナマラ方式という一つの新しい予算の編成方針といったものを理論武装した。これは非常に軍事的なもので、例えばAという地点を攻略するためには、どういう代替的な手法があるか。直接、爆撃をする。あるいは大陸弾道弾で攻略をする。あるいは歩兵部隊を投入してやる。そういったいろいろなオルタナティブを全部出して、その費用を出し、費用を全部計量化する。そして効果も計量化する。そして、費用、効果を計量したものを比較して、決定する。デシジョンメーキングの一つの手法です。既に昭和43年に、そういうような議論が部内では行われました。その時は、結局最後に、福祉と防衛をどうやって比較するかという馬鹿な議論でポシャってしまったそうです。それは非常に残念な感じですが、最近、行政のいろいろな分野でそういった費用効果という新しい分野の研究が行われております。
 確かに中央では、費用対効果がいろいろな形で行われますが、私どものような末端の市町村の場で、本当は費用対効果をやりたいんです。これだけの地方の予算、本当に限られた自主財源を使って、どういう形でそれを有効に使うか。例えば住民の福祉厚生、弱者救済をしようといったときに、これだけのオルタナティブがあって、その中で選択をしようといったことを本当はしたいんですが、実はなかなかできない。やはりいろいろな国の補助金、あるいは事業は来る。そうしたら、その中で何をとったら、お金がたくさん来るか、事業がたくさんとれるかというふうなこと、見ばえや資金量といったものに奪われてしまう。自分達が本当にやりたいことは何かということが、どこかにいってしまうんです。実はそれが、地方自治体共通の悩みであります。何となく流されて、ぶら下がってくるものを適当に拾っていけば、首長は務まるわけです。
 しかし、地域の住民にとって何が本当に必要なのかということは、実は別次元なんです。これができないというのはなぜかというと、結局、税の問題に戻ってくるわけであります。自分達が集めた税金で、自分たちが事業を行っていく。あるいは、もし国の助成があれば、その助成は自分達の判断で自由になる。自由裁量になる財源であれば、そこで本当に必要なことしか地方ではやらないはずです。しかし今は、ただお金が降ってきて、こういうふうな大きな事業ができるというのであれば、そこで、つい手をあげてしまう。それは優先順位からすれば本当に劣後するものである。本当にやりたいことは、実はやれない。そういったことが実は現に起こっているんです。私も同じように、そういうことで判断に苦慮しているわけですが、結局、やっぱりそういうふうなことになってしまう。市民や建設業界などは、何か大きな事業をやってくれと。そういう話に、つい呑まれてしまう。市民、あるいは住民が一番欲しいことは何かということは、はっきりわかっているわけですが、それができない。ということは、今、地方分権とか、いろいろなことを言われていますが、地方自治体が自分達で自らのことを決められるような体制になっていないわけです。それは、ひとえに財源問題であります。財源が自治体の自由になっていない。これは、総務省でもいろいろとご努力をいただいています。何とかして、自治体それぞれが自分達の判断で、自分達が結論を出したものをちゃんとやれるような体制ができないか。こういったことが今、世の中の動きとしてはあるんですが、遅々としてなかなか進みません。
 今、私どもは合併問題に一生懸命取り組んでおりますが、合併をすれば自治体の力は強くなる。強くなれば、そういう主張ができるはずだという思いも持っています。自分達が本当にやりたいことをできるような地方の財政の仕組みを打ち立てることが、今、地方にとって一番大事なことであります。そのための合併である。そういうようなことも含めて、先程の、地方でなかなか法律どおりできないといった問題も、合併によって、何か新しい道が開けるのではないかという思いも持っているところであります。とにかく今、大きく変わろうとしている。
 地方分権は、残念ながら政令指定都市や都道府県程度にしか影響、恩典はいっておりません。市町村に下りてくるものは本当に、「まぁ、こんなもの」というぐらいのものしかないわけです。もちろん、地方事務官制度などいろいろなものが変わりましたけれども、まだまだこれからだ。これは、まさに今から弱小、中小の市町村の合併によって力をつけていくといったことで、初めてそういった要求も出てくるのだろうと思っております。だからこそ固定資産税を大宗とする地方の税収もしっかり今から打ち立てていく。そして、法定外普通税、昔、私も担当しておりました。本当に僅かなものしかなかったわけでありますが、そういったものも自主的な財源として、今から市町村が本気でしっかり考えていく。そして、それ以上に大事なことは交付税のあり方を含めて、何とか地方の自治体の自主性に委ねられる財源を増やしていくことです。
 行政担当の方々は、こういうことを言わずも十分ご承知のとおりであります。しかし都市部の裕福な団体ですと、そういうふうな感じはないかもしれません。3割自治と言われますが、市町村にとってみればまさにそのとおりであります。地方交付税、ある意味では地方単独事業による、そういったもののウエートは別といたしまして、地方交付税のあり方が本来自分たちの裁量でやっていけるとなれば、今まさに地方交付税はそうなんですが、補助金も含めた形でそういったものが統合されていけば、これは大きく変わってくるだろうと思います。そうしたら、今の予算の大体3分の1で済む。2分の1で済む。具体的に数字は検証しておりませんけれども、おそらくそうだと思います。必要でないものまで、我々は実はやっているんです。個々に言いますと、すぐ霞ヶ関から電話がかかってきますけれども。なかなか難しい話であります。しかし、全国の首長さんの思いはおそらくそうであります。長野の話とか、いろいろな話もまさにそういうところにあるわけであります。そういったようなことを一つずつ今から検証しながら努力をしていくこと。こういうことで、今、自主財源といったようなこともいろいろと考えているところであります。
 論点が相当逸れてしまいました。専門家の方々ばかりいらっしゃるここで、本来であれば評価論の一つや二つと思いますが、何せもう10年前の専門家でありまして、今、世の中の動きがどういうふうになっているのかというのは私も、十分承知しておりません。ただ、言えることは、今の税収というものを考えていくときに、地方、特に中小の地方都市にとってみれば、まさに今、国からの補助金と地方交付税で財政運営はなされているわけです。私どもは3割でありますが、私どもの周辺の、合併をしようとする郡部の町村は、ほとんど1割前後です。1割を切るところもあります。おんぶにだっこで、国からお金が来る。しかし、そのお金の大部分は道路であり、あるいは施設であり、ダムといったものであります。本当に住民にとって最優先でやりたいことのお金なのかどうかというのは別次元だと思います。
 とにかく今から合併をして、今から10年間交付税の特例を受けてやっていく。これは、日本の壮大な改革であると理解しております。単に合併をするということではなくて、合併を機会に、もう一回意識改革をしていこう、もう一回事業を見直していこう、そして過疎、少子高齢化でありながら、21世紀に生き抜いていける礎は何だろうといったことを、今、考えているところであります。そういった中で、財源、税といったものは非常に重きをなすということ。そして、自らが努力して税収を集めていくことがなければ、歳出の実行はできないということが分れば、今の日本のあれだけの無駄なお金は無くなってしまう。
 今、我が国の地方及び国の債務の累計は700兆円と言われています。累積債務国の総額が200兆円でありますから、いかに大きいかというのはおわかりいただけます。ムーディーズ社の評価が、南アフリカの小さな国よりも低いと言われるのは当然であります。何でこんなことになったのか。社会保障の見直し、年金の見直しと同時に、地方において本当に望みもしない劣後しているような事業も、実はたくさんやられているということを首長は声に出していくべきである。しかし、地方はなかなか声が出しにくい。そんなことをしたら、すぐに絞り込まれてしまいます。国土交通省さんも厚生労働省さんもいろいろな事業をやっていらっしゃるわけであります。マスコミを含めて、世の中の専門家の皆さんは、もう少し地方の実態をよく勉強してほしいと思います。総務省で大変ご努力をいただいておりますが、マスコミを含めた世の中の識者が今の地方分権の必要性とか合併の問題について、もう少し理解があってしかるべきではないか。そういった声に、もう少し耳を傾けてほしいという思いを強くしているところであります。
 世の中はまさに改革期。しかし、一番大事なことは、さっき言いましたように、日本の伝統は日本が今までずうっと、戦後あるいは戦前も我々の先人があれだけの努力をして復興をなし遂げた力、精神が一体どこに行ってしまったのかということを我々は教育、社会の問題の中核に据えるべきだろう。そして併せて、今、技術的な問題であります。合併の問題とか地方分権の問題とかいったものを、本当に真剣に考えていく。そうすれば、世の中はまた昔のようにレールにちゃんと乗ってくるはずだと思います。
   
8.  おわりに
  今日は、専門家の方ばかりの席に田舎の首長がホイと出てきて、適当なことを言ってしまいましたが、地方から見たときの思いを、ざっくばらんにお話しさせていただきました。ご清聴いただきまして本当に恐縮であります。今の首長の私の話が本当かどうかというのは、ぜひ山口県萩市に観光に来ていただきまして、検証いただければと思います。私どもは、歴史観光ということを、特に松下村塾の物語をいろいろな形でストーリーテラーとしてお話をさせていただくことにしております。全国からいろいろな若い方の団体に、訪れていただいております。本当に恐縮しております。あの辺境の地、山口県萩からなぜ維新の力が生まれたのかということを、萩の地に来られまして、ぜひ検証いただければと思います。
 ちょうど1時間になりました。まことに粗雑な話で恐縮でございますが、これで話を終えさせていただきます。ありがとうございました。